あの夜の少女が王女《プランセス》

 竜太郎の耳のそばで、何かがえらい音で破裂したような気がした。いま、自分の耳が聴いた言葉が、いったい、どういう意味をなすのか、咄嗟に了解することが出来なかった。「なんです?……どうか、もう、一度」 ヤロスラフは、敬虔なようすで眼を閉じると、祷るような口調で繰りかえした。「神の御思召あらば、リストリア王国を統べたもうべき、エレアーナ王女殿下……」「するとあの方が……」 竜太郎の眼を見かえすと、ヤロスラフは一種凛然たる音調で、こたえた。「王女殿下であられます」 こんどは、はっきりとわかった。

    六

(あの夜の少女が王女《プランセス》) 身体中の血が、スーッと脚のほうへ下ってゆくのがわかった。生理的な不快に似たものがムカムカ胸元に突っかけ、ひどい船酔でもしたあとのように、頭の奥のほうが、ぼんやりと霞んで来た。(おれは、ここで卒倒するかも知れないぞ) 机の端を両手でギュッと掴んで、いっしんに心を鎮めた。 すこし気持が落ちつくと、最初に鋭く頭に来たのは、これアいけない、という感じだった。(もう、二度とあの小さな手を執ることは出来ない。声をきくことも抱くことも……) この想いが、たったいま、自分をとりとめなくさせたのだった。 竜太郎は、あの娘に逢ったら、いきなり胸の囲みの中へとりこみ、今迄の、うらみつらみ、うれしさも悲しさも、何もかもいっしょくたに叩きつけ、人形のような、あの脆《もろ》そうなからだを腕の中で押しつぶしてやるつもりだった。 あの嫋やかな手を執り、あの優しい声を聴き、あの夜のようにしっかりと抱き合いながら、その耳へ、(結婚しようね。死ぬまで、離れなくともすむように) と、囁やくつもりだった。

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