あの夜の少女

 と、すると、あの夜の少女は、やはり、リストリアの王女だったと思うよりほかはないのであろう。 竜太郎は、悒然とした顔つきで椅子から立ち上ると、部屋の端のほうまで歩いて行き、壁に貼りつけられた地図をしみじみと眺める。 リストリア王国は、ルウマニヤとチェッコ・スロヴァキヤに挾まれた群小国の間にぽっちりと介在している。 不等辺三角形をしたその国の央《なか》ほどのところを、青ペンキ色に塗られたダニューブの河が流れている。 青いダニューブの河! その岸に、マナイールが、首府の標の二重丸をつけてたたずんでいる。 マナイール! 竜太郎は、その上へ、そっと人差指を置きながら、こんなふうに弦く。「ここに、おれの薄情な恋人が住んでいる。……あの悲し気な眼つきで、ダニューブの水でも眺めているのだろうか」 地図の上を強く磨すると、指先にダニューブの青い色がついて来た。 眼に指先を近づけて、それをじっと眺めているうちに、むしょうに、あの少女に逢いたくなって来た。なんでもいい、たった、ひと眼でいい、一旦、そう思い出したら、もう方図がなかった。 がむしゃらな、一途の激情が滾《たぎ》り立って来て、抑えようがない。息切れがして、すぐ傍の椅子の中へ落ち込んでしまった。 竜太郎は、両手で顔を蔽って、長い間激情と戦っていたが、そのうちにどうにも耐えられなくなって、錯乱したように叫び出した。

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