身も細るような奔走と感傷

 ゆくりなく、かりそめの契りをしてから、どのような思いで、そのひとの姿を追い求めていたことであったろう。巴里での、あの、身も細るような奔走と感傷。はるばるとこの荒々しいバルカンの風土の中にやって来る途中の灼けつくような物思い。……そして、いま、冷湿な砲台監獄の壁をへだてて、その人と隣り合せている。――なんという運命の無邪気な厚意。 しかし、これも、瞬時のときだった。 竜太郎は、すぐこの感情を恥じ、心の中で、赤面した。 竜太郎は、口早に老人に、たずねた。「あなたは、仏蘭西人ですか」 老人は、誇らしげに答えた。「いや、リストリア人です」「あなたは、ご存じでないでしょうか。王女エレアーナは、いま、どうしていらっしゃいますか」 老人は、心の痛苦に耐えるといったふうに、眼を閉じた。「ここにいるわれわれの皆が、憂慮《きずか》っているのは、ただひとつ、そのことなのです。……しかし、あなたは、どうしてそんなことを……」 柔和にたれ下っていた瞼を急におし上げ、肚の底まで見とおすような鋭い眼差で、竜太郎の眼を見かえした。「あなたの国籍は?」 この半生に、まだ一度も感じなかったような、たとえようもない誇らしさと、矜持と、優越を感じながら、竜太郎が、こたえた。「私は日本人です!」 老人は、口の中で、ほう、というような短い驚嘆の叫びを上げてから、「その、日本人のあなたが、どうして、こんなところへ……」

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